日記

不定期

現実

確かに本当に欲しいものは今すぐ手に入れたいと思う 焦る

けれど手に入れてしまうと案外あっけないもので その工程が大切だったことを身に沁みさせられる

「欲求」には叶わなくそんな理性を掻き消してしまうほどの脳汁の津波が襲う

僕は我慢ができるようになることが大人になることだと認識しています

子供は我儘を言います 大人はそれを我慢して生きていきます 

子供の場合は欲しいものがあれば喚いてねだって乞う

大人の場合その為に我慢し働きます

つまり大人になるというのは環境に適していく常識を身に付ける我慢することが当然になっていくということだと思っています

そして大人になり現実的になり夢が見れなくなっていきます

子供の頃に比べて大人の方々の夢はとても現実的で柔軟性がなく夢というよりは目標…? それは現実に触れ合っている時間が長いからでしょうね

そうやって僕も普通になっていくのでしょうか

普通というのは周りと同じということから安心感を得られますからそれを望む人も居るでしょう

けれど大体の人間は非凡に憧れる凡人ばかりだと思います

非凡に生きるというのはどういうことなのかと言われると

僕は自分に素直に生きることだと思います

これまでの話で言うならば我慢をしないということですかね

きっと子供のままでいられることなのかなぁと夢を見ていられる状態でいること多分

我慢しないというよりはしたいことをして生きるという感じが近いのかなぁと思います

みなさんはしたいことをして生きていけてるでしょうか

僕はしたいことが出来る環境にあるのにやりません いつでもやれるという現実に慢心して好機を永遠と逃しています これを自覚していてもやらないのでいつか必ず後悔する日が来るでしょう そして現在も後悔しながら生きています それでもやらないというのはきっと努力の才能がないのでしょうね という才能を言い訳にし出すあたりがもう凡人らしさ丸出しと言うか本当に惨めすぎて笑えてくる でもそんな自分が好きです それが僕の生き方でしょうか 自惚れてなにもしないままなにもできないまま終わるというのが僕の人生でしょうか

まぁしたいことをして生きていくと言うのは多分殆どの人間の理想で それができればしてるわ って言う話になると思うんですけど 現にしてる人間が居るわけですからきっとできない人達は そういう環境を手に入れる熱意がなかった そういう環境を手に入れるための努力ができなかったという敗者なのではないでしょうか

人間って皆やれば出来ると思うんですよね個体差はあろうとも結局は同じ人間ですからね作りは同じですよ皆 やらないだけで

なに話してるのかわからなくなってきましたが

今日僕は一日のほとんどを寝て過ごして 今この記事を書いています

起きてすることがないから寝てたんです

やろうと思えばやれるのにしないんです

つまり僕も敗者ですね 

今日寝てる間ずっと学校の夢を見ました

卒業式の予行練習ですごく泣いて言いたいこと全部言って暴言とか感謝の気持ちとかそして学校から出ようとしたら出口も入り口もなくて外は土砂降りでした…

学校良いですよね

戻りたいなぁ

 

終わり

今日という日

四日ぶりにオナニーした最高だった

鏡を見る度不細工になっていく自分に悲しくなる

自分の証明写真を見て笑ってしまうこと

すきバサミでその証明写真を切ろうとしてたこと

両面テープが剥がせなかったこと

出ようとしていた時間に家を出る準備を始めたこと

歩きながらTwitterしてる僕に真っ直ぐ歩いてくる馬鹿は死ね

へそ出してるブスに数秒目を奪われた

隣に座るブスにときめいた

女の子という存在に感動した 皆膨らむべき場所が膨らんでいる尊い

地下鉄の匂いが好き

優先席に堂々と座ってる老人へ 退け 私が座る

おっぱい触りたい

爺ちゃんの部屋からお金盗んでアルバイトの面接に行った

そのこと話したら凄い嬉しそうにしてた 盗みが許される優しい世界

三年前にも同じ場所で見かけた障害者がまた同じ場所で同じ様な姿でいた

人間の最大の敵は欲求

 

終わり

 

 

 

 

晴れ

終わりは突然です 終わることはどうしようもできません

僕の履歴書は空白ばかりです

皆さんが無意識に確信していること例えば 明日が必ず来る とか 自分は死なない とかそういう事

僕が無意識に確信していた事と言うか支えられて居たものの一つが今日無くなってしまいました

どうしようもない僕にとってそれはとても衝撃的でした

これまでと同じような生活は今後できないのでアルバイトを始めることにしました

あと部屋を掃除しようかな

ぽっかり心に穴が空いてしまったなぁ

こういう時一人は寂しいな

 

終わり

 

無題

シャワー浴びながら頭のなかでもし自分がテレビに出演して自分の話を深く掘り下げていったとしたらってこと考えていたら面白くないし寧ろ周りが少し引いてしまうような放送できないようなことになるんだろうなぁ と少し自惚れていました

これが非凡に憧れる凡人の思考回路です

まぁそんな事考えながら身体流してたら乳輪の割れ目からめちゃくちゃ長い毛が生えていて 抜いてやろうと思って引っ張ったら痛くて こいつと共存して行くことにしました

僕が単純に他人に強く当たってしまうのは人を信用できていないからというのが理由なんでしょうね それと僕以外の凡人共を見下しているからでしょうね

悲しい人ですね しくしく

誕生日五月二十八日なんですけど この記事を見てくれている皆さんはきっと僕のためにめちゃくちゃ喜ぶようなプレゼントを準備してくれていると思います

欲しくもないものを貰っても嬉しくないですし 嬉しくないのに ありがとう なんていうのも嫌なのでほしい物リストを作りました

 

・お金

・お家

・地球

・彼女

 

です

ちなみに地球は誕生日にプレゼントしてくれるっていう人が居たので地球以外でお願いします

僕の誕生日にはみなさんの住む地球が僕のものとなるので今のうちですよ自由に地球を歩いて周り 自由に呼吸できるのは 誕生日が来たら僕のものですからしっかり許可をとって地球で生活してくださいね

まぁ誕生日を迎えるということで少し憂鬱になりますよねNHKで見るようなろくでもない人間になりそうです と言うかもうなってるんですけどね そのうち僕が特集されるかもしれません 

 

終わり

身体動かすのめっちゃ面倒くさい

この面倒くささが身体の重さなのだと思うと 自分の身体は普段動かしているから意識したことはないけれどすごく重いんだなって言うことを認識させられ

生きているという実感が湧きますね

最近すごく線香の匂いが恋しい お葬式とかお墓参り行きたい

知らない人のお墓にお線香置いたりしたら失礼かなって考えたけどどう考えても意味不明過ぎるだろうし もし自分の大事な人のお墓だったら普通に腹立つからやめておこう

どうせ死ぬなら美少女ぶっ殺して死にたいですね

圧倒的美少女自分に自信があって凛としてて他人を見下したような人

どんなに地位があろうとも力が強かろうとも首と身体が離れたら動かなくなるし

心臓が止まれば死ぬんですよね

少し身体を鍛えることが無意味に感じてしまう

まぁ脆いですね人間は 他の生き物もそうだけど

昔犬の首を締めた時凄い申し訳無さそうな顔で自分を見てきた目が忘れられない

どうしてそんなことをするのかという眼をしてたなぁ

可哀想だけどそれ以上にその見る目がなんか心をギュッとしてそれがたまらなく気持ち良かったこと時々思い出してしまうなぁ

人には話せないような話沢山ありますね

誰が見てるかわからないからここで書いたりはしないけど

弱いものいじめっていいですよね

と言うかいじめがすごい好き めちゃくちゃ陰湿で生々しくて

凄い好き

する側には回りたくないんだけど される側かそれを見てる側の人間になりたい

見てる側の人間だったらその人を助けてあげたい 美少女とか美男子だったらの話だけど でもめちゃくちゃ中身が好きな人だったら助けてあげたい と言うか助ける

人間関係築きたいなぁ

自分を全く知らない人と0から

例えばTwitterのフォロワーさんと仲良くなるとしても 相手は僕のことを知ってて僕は相手の事を知らないっていうのは0じゃないし 対等じゃないからちょっと違う

あとオフ会したい フォロワーさんといきなりオフしてそこで知り合うっていうのは全然あり 面白そう

なんか新鮮味がほしいなぁって思います

 

終わり

 

真昼の団地公園

一日一食 ニートなら当然だよね

3食食べてる奴ニートって言うよりは殿様だからね 殺したい

その一食を食べにリビング降りたらば 冷蔵庫に食べ物と呼べるもの殆どなくて

今日は 納豆とキムチだけです

ニートダイエット流行るよきっと 

そこで母親と遭遇して「そう言えば今月誕生日だね」って言ってきたんです

僕は誕生日を覚えていてくれた事に驚きと喜びを感じ そして二十歳という事実に申し訳なくなりました

前みたいに働けってしつこく言わなくなったよね……

最近死にたいと思うことが多くて 母親が誕生日を覚えていてくれたこととかその後僕が生まれた時の話をしてくれたこととか こんな僕が親に愛されてること実感させられると 死にたい って思ってたことが凄い申し訳なくなってしまいました

 

話は変わりますが 人間関係 と言うもので 友達 と言うものが存在すると思うのですが

その関係に遠慮と言うのものは必要なのでしょうか

例えば友達の家で食い散らかしてそのまま帰るとかそういうモラル的な話ではなくて

お互いの性格や言葉遣いに遠慮が必要なのかという話です

僕は本当に親しい人には遠慮をしたくないです 相手も遠慮をしてほしくないです

友人同士でお互いが我慢しあう関係ってそれは偽物だと思うんです

本当に仲良くしたいならお互いの全てを受け止めて親しくしたい もしそれが不可能であればお互い合わなかったという話じゃないですか?

友人というものは多くいればいいと言うものではないと思います

一生付き合っていける友達が1人でもいたら僕は本当に幸せだと思います

今僕にそういった友人は居ません そもそも僕がこんな捻くれた価値観を持っているので誰も受け入れてくれません 僕はどんな人だろうと友人であれば受け入れるつもりなのに

まぁ結局それは自分視点の話で他人からすればただの自己中であって だから僕には友達が居ないんでしょうね それが現実です

だけど気を使って生きていきたくないです と言うよりはそんなことで他人と距離をおくような薄っぺらい奴らなどはどうでもいいのです

本当は羨ましいけどね友達多い人

部屋から出ないでインターネットばかりして人と関わらないとこんな取り返しの付かない人間になってしまうので皆さん気をつけて下さい

 

最後に 友達募集中です

 

終わり

終わらない夏休み

つい最近なんだかんだ生きていけて真面目に生きてる奴らが凄い馬鹿馬鹿しく思えるような出来事がありまして

あれ?人生ってちょろくね?と飴のようにペロペロ舐めていた僕です 

おいちい人生おいちい

それで知り合いがイベントで買ってくれたCDを送ってくれて着払いでお金を払おうとしたら650円かかったんです

僕の所持金は100円家中探してなかったのでまた着てもらうことにしました

人生きびしい めっちゃにがい なめてました ごめんなさい

それから家の中を探しまわって250円

この光景前にも見たことあると中学生の頃を思い出しました

よく家中の小銭を集めて近所の駄菓子屋さんでお菓子を買っていました

その時と全く同じです 僕は成長してないんです

あと二十六日で二十歳になる人間が中学生の頃十五歳の僕と全く同じことをしてるんですよ

僕は笑ってしまいましたね 変わってない自分と250円しか手元にない自分を

最近時間の流れを感じます 僕が学生だった時に関わっていた人達が社会人になっていたり 子供を産んでいたり 時間が進んでいる中で僕は四年前 高校をやめてから何も変わってないです

思い出しますね高校一年生の夏休み

同級生と一緒に補修を受けに行ってコンビニでスイカバーを買って食べてたこと

たそがれている暇はない 支払いはしなくてはいけない 

再び家中探して650円集まりました

いやぁ~やっぱ人生ってちょれえ~~www

あめえ~ww ぺろぺろw

夏が近いですね 僕が高校をやめてから四回目の夏

十代最後の夏です

どんな夏が訪れるのでしょうね

10代最後の春はネトゲをして終わりそうです

青春と言うのは人と出会って恋をしたりすることだけが全てじゃないですからね

ゲームをして人生を食い潰すのも青春です きっとそう

最近リア充を見ると胸がキュッとなる

 

終わり