日記

不定期

あのとき殺せなかった自分を

今ではちゃんと殺せてるだろうか

 

保育園のときに1回

小学生の時に2回

引っ越しを繰り返して

 

何一つ 昔から というものが僕にはなくて

それから高校も中退した

全部が中途半端で それを言い訳にするみたいに

いろんなことをすぐに飽きてしまう性分で

 

季節が変わって タイミングというものが今回訪れて

また一つ節目を迎えようとしてる

だからまた一つ僕の中で終わりに向かっていってる

 

それでも続くものをがあればいいなと思う

あの時ちゃんと殺してくれたら

あの時の悲しみもそれからの幸福も

全てなかったのに

僕はそんな自分の弱さを貴方のせいにして

今も言い訳をしているのです

 

死んだ母親を思い返して悲しくなるんです

死んだ友達を思い出しては悲しくなるのです

 

僕とは逆方向に進んでいった人達を

たまに羨ましく思えてしまうんです

僕はこれからどうすれば良いですか

 

都合よく神様が現れることなんてありませんが

貴方が僕の神様になってくれたりはしませんか

 

救いなんてものは必要ないんです

太陽は眩しすぎるから

月はただ綺麗なだけですから

貴方がふとした時 そばにいてくれたら

僕はそれだけで生きていけるんです

ぐちゃぐちゃ ぐちゃぐちゃ

ハッピーエンドになんかするんじゃねえ

魔王にでもなって世界を征服したろか なんて考えながら

粘土を作っている

何を作るわけでもないけど

最終的に生まれるのはゴミでしょうね

そんな感じでこの世のハッピーエンドをぐちゃぐちゃにして

ゴミに変えていく

 

別にバッドエンドが好きってわけじゃない

ただ最終的に頭の中に残るものが

負の感情だから

モヤモヤしていたい という

そういうことなのかもしれないと

思いました

つくづく思うこと

意味のないことなんていうのは

存在しないということ

 

意味のないことにすら意味があるのだと思う

これは揚げ足やら言い訳ではなく

意味のないことなんていうのは本当に存在しないと思うんだ

理由やらその証明やらは難しいことだろうけど

例えば今さっきまでしていたゲームの話をすると

勝ちと負けしかないルールで負けたとしてその時間は全部無駄だったのかと言われたら

顔を真っ赤にしながら 無意味でした と言いたいけれど

まぁでも正直その負けにも負けた理由ってあって

とまぁそんな掘り下げるほど熱量があるわけではないけど

無意味だって全部切り捨てることはきっと早計だと思う

 

というか感情的になって無意味だと言い切れてしまうことが怖い

何事にも優しく許していたいのに

怒りという感情はその対象に対しての憎しみやら殺意やらそういったもので

全部を埋め尽くす

多分自分の中で一番自分を飲み込んでしまう感情が怒りだと思う

 

怒らないなんてのは不可能だと思うんだけど

というか怒らないようにしていたら他人に対して無関心というか

つまらない人間になってしまう気がする

そんなことはどうでもいいのかもしれないけど

 

だから何が言いたいかって

僕は人に優しくありたい

だけどそれができない

そういった話

 

どうすればいいのかとかそういう話はしたくないけど

今はそうありたいと思うって話よ

当たり前が消えていく

日常が終わっていく

それがどういうことなのかまだよくわかってない

 

あるべきはずのものが無くなって

それが自分にとってどんな影響を与えるのか

そんなことはわかりやしない

 

きっと悲しいことですら楽しいことですら

自分を構成するこれまでの全てだって

無自覚に生きているのだから

それが今後変わっていったとして

消えていったとしても

僕は何にも気づけず終わる

きっとそんなことを知らずに

すべてが終わっていくのだと思う

 

それを悲しいことだとは思わない

ほんの一瞬 何かが瞬いて

消えるというそれだけの話であって

そこに残るものなんてのは何一つありはしない

 

つまりは

これまでもこれからも無意味なのか?

というと

そういうことではなく

 

だから何がいいたいのかって

何かを訴えたいわけでも

伝えたいわけでもない

 

これが誰かの目に止まろうが

人知れずに消えていくものだろうが

そこに意味はない

 

明日が来ないこともないし

これまでが変わることもないんだよ

 

それでも続いていくものの中の

一つに過ぎない僕は

他人の瞬きにすら気づいてない

そういうものなんだよ 

 

なぁ

結局のところ

この世に溢れた

終わりの一つに過ぎないんだよ

 

そういうもので形成されているんだ