日記

不定期

鯨には死生観があるらしい

誰かが死ぬと言うのは

過ぎていくものだから

そう思えてしまって

あまり向き合う気にはなれない

 

ふとした当たり前がなくなって

そういう空洞が

僕を冷静にさせてくれる

 

彼女のことも

バンドのことも

母親のことも

 

結果それは過ぎてしまったもので

気づいた時には

新しい何かで埋まってしまっている

 

それが良いことなのか悪いことなのか

まだ僕にはわからない

 

ツギハギだらけになって

初めて息苦しさを感じなくなった

誰かが離れていって

また誰かが消えてしまっても

きっとまた何かで誤魔化して生きていくのだ

そうではないと人間として生きていられなくなる

 

弱さは悪いことじゃない

そう思う

 

だけどそれを理由にはしたくないな

 

新しいものが馴染んでいく感覚

自分が自分ではなくなっていく感覚

 

変わらないものなどないのだと

変わらずにいたいと言う

僕の我儘

 

行動や物ではなくて

心の奥にまで

ふとした時頭の中をぐるぐる巡る

言葉が一番僕の欲しいもの

 

気分屋というのは

悪くもあり良くもあり

まぁ自分は後者として捉えることのほうが多いけれど

 

自由でいたいと思うのは不自由さを感じたとき

不自由さのない自由さと言うのは逆に自由過ぎて不自由に感じてしまう というか

結局不自由さの上でしか自由と言うのは成り立たないのでは と

そんな風に思う

 

結局何が言いたいとかそういうことはなくて

色々頭の中をスッキリさせたいと強く願うし

やっぱり普通というのものが退屈で仕方ない と改めて思う

 

自分は退屈な人間ではないのか?という自問自答にどう答えることが

正解なのかはわからないけれど

僕が退屈だなと思う毎日はきっと客観的に見ても退屈で

僕が面白いと思う日常はきっと誰かにとって面白い出来事で

どういうことだ?

よく分からん

 

振り返ってみれば退屈ではない人生と

振り返ってみれば退屈な毎日を繰り返しているのが僕の人生で

人生は起承転結

今はそういう日常パートなのだろうと言い聞かせてはいる