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気分屋というのは
悪くもあり良くもあり
まぁ自分は後者として捉えることのほうが多いけれど
自由でいたいと思うのは不自由さを感じたとき
不自由さのない自由さと言うのは逆に自由過ぎて不自由に感じてしまう というか
結局不自由さの上でしか自由と言うのは成り立たないのでは と
そんな風に思う
結局何が言いたいとかそういうことはなくて
色々頭の中をスッキリさせたいと強く願うし
やっぱり普通というのものが退屈で仕方ない と改めて思う
自分は退屈な人間ではないのか?という自問自答にどう答えることが
正解なのかはわからないけれど
僕が退屈だなと思う毎日はきっと客観的に見ても退屈で
僕が面白いと思う日常はきっと誰かにとって面白い出来事で
どういうことだ?
よく分からん
振り返ってみれば退屈ではない人生と
振り返ってみれば退屈な毎日を繰り返しているのが僕の人生で
人生は起承転結
今はそういう日常パートなのだろうと言い聞かせてはいる